金春流能楽師の梅村平史朗さんを祖父に持つ山井綱雄さん。
5歳で初舞台に立ってから一筋に能楽師の道を歩んできました。「超一流と真剣勝負」の舞台と位置づけて立ち上げた「山井綱雄之會」は10回ごとにテーマを替えて、今回20回目の節目を迎えます。自分を育ててくれた恩師たちへ感謝を捧げ、今後は自分が育てる立場に。金春流を未来につなぐ「次世代の育成」をテーマに掲げ、「山井綱雄之會」次なる舞台の幕が開きます。
(追記)奇しくもこのインタビューの実施直後、11月28日に山井さんの恩師富山禮子師が98歳で他界されたそうです。今回の20回目の記念の会は、亡き恩師に捧げる舞台になるとのことです。
1973年、神奈川県横浜市生まれ。
重要無形文化財(総合認定)保持者。
公益社団法人能楽協会理事。
一般社団法人能の心を未来に伝える会代表理事。
公益社団法人金春円満井会常務理事。
5歳で初舞台。他ジャンル芸術との共演主演創作作品多数。
能楽師になった経緯を聞かせてください。
山井祖父・梅村平史朗は能楽師でしたが私が物心ついた頃には病床にあったので、祖父に教えてもらったことも祖父の舞台を観たこともありませんでした。金春流女性能楽師の草分け的存在として知られた富山禮子先生は祖父の弟子だったのですが、私が4歳くらいのときに子方として舞台に出したいと仰られたそうです。祖父は「絶対ダメだ」と。一代で能楽師になった祖父としては、自分の苦労を孫にさせたくなかったのでしょう。それでも周りのお弟子さんたちが、まずはやってみて、大きくなってから自分で判断させればいいじゃないですかと説得して、富山先生の舞台に5歳で立つことになりました。曲は『柏崎』でした。
祖父はその舞台を観に来ることはできませんでしたが、私の謡を録音した方がいて、病床の祖父に聞かせたところ、「さすが俺の孫だ」と言って喜んだそうです。なんだ、やらせたかったんじゃないかと(笑)。
その3か月後に祖父は他界しましたので、私は祖父に教わることはなく、富山先生に育てていただいたということになります。小学6年生で『経政』のシテを勤めて、その時に能楽師になろうと決めました。
金春流は代々奈良を拠点としてきたのですが、先々代の79世宗家・金春信高先生が30代の頃にご家族を連れて上京されました。東京にはまったく基盤もありませんから、一大決心だったと思います。東京の金春流として活動していた祖父は「一緒にやりませんか」と声を掛けたそうです。東京には、本田光洋先生の父である本田秀男先生もおられましたので、三人で「三春会」を立ち上げました。それが現在の「円満井会」につながっていくのですが、信高先生は祖父に大変恩義を感じてくださって、私が富山先生に連れられて両親と弟子入りの挨拶にご自宅まで伺ったときも「よく来たね」と喜んでくださったのをよく覚えています。
迷うことはなかったのですか?
山井能楽師のインタビューでは、子どもの頃はお稽古が嫌で、如何にして逃げるかを考えていたという話がよくありますが(笑)、私は嫌だと思ったことが一度もないんです。
私にとって能楽の父である信高先生、能楽の母である富山先生も褒め上手で褒めて伸ばす指導方針でしたから、私は一度も叱られた経験がない。「よくできたね。ほら、もう一回やってみよう」という感じで、褒められて育ってきましたね。
ただ、富山先生のお稽古は結構ハードルが高くて、二回は一緒に舞ってくださるんですが、三回目には「一人でやってみて」と言われる。だから必死でしたよ。かなりの曲数を教えていただいて、それが今の自分の礎になっていると思うので有り難いですね。
私は大人になるまで、小さい頃からの感覚のままお稽古をしてきたので、体で型を覚えてきました。「右手をもう少し上げなさい」とか「もっとゆっくり」「もっと力強く」というように、徹底的に型は教えられるのですが、そこにどんな意味があるのかは教わってこなかったんです。それも今思えば、将来の私に言ってくれていたんだと感じます。「今は理解できなくていいんだよ」と。何十年か経って、今の私に対する先生のメッセージだったんだと思うことがよくありますね。

ご自分が育てる立場になった今はいかがですか?
山井私はそういう指導方針で育ってきましたので、指導する側の立場になってみて「なぜできないのか」ということを考えます。どう伝えればできるのか。体に染み込ませる、体に叩き込むというプロセスも勿論必要ですが、これからの時代はある程度、理論的に説明できることも必要なのではないかと思っています。
私たちは先人達に挑戦していく立場ですから、本気で先人達を追い越そうと考えるなら、先人達がやってきたことを踏襲していくだけではダメで、踏襲した上で今の時代だからできることをやっていくことが求められるのではないかと思います。例えばスポーツの世界でも証明されていますが、時代とともに進化していきますよね。身体を使う舞台芸術も同じで、進化しないとおかしいと思います。その時代にあったやり方、受け側である観客のニーズや時代背景に合わせた伝え方というのも必要なのではないかと考えています。
「山井綱雄之會」はどのような思いで始めたのでしょうか?
山井私は32歳の時に能楽師の登竜門である「道成寺」を披いて、これから能楽のど真ん中で超一流を目指して生きていくのであれば、超一流に揉まれて超一流から学ぶのが一番だろうと考えました。
流儀の中にも素晴らしい先生たちはいらっしゃますが、もっと広い世界で揉まれたくて。だけど、他流の先生の家に押しかけて教えてもらうわけにもいかないので、舞台の上で真剣勝負を挑みたいと考えたんです。それで一回目は、「人間国宝に揉まれる会」という位置づけで、後ろに国宝級の先生方がずらりと並ぶという今思えば畏れ多い会をやりました。私は怖いもの知らずですから(笑)。

ご苦労も多かったのでは?
能楽にはマネジメント会社もないので、出演オファーは直接しなければならないわけです。人間国宝に話しかけるばかりか、「出てください」というわけですから、「お前、誰?」と言われるかもしれないし、断られるかもしれない。出演していただいても、食われてしまうかもしれないリスクは大きいですよね。それでも私はそこに挑戦したかったので、楽屋でお見かけしたら直談判をしていきました。
そこで驚いたのは、人間国宝の先生方が「お前、梅村平史朗の孫なんだってな」と言われたことでした。祖父とは名字も違いますが、皆さんご存知だったんです。 宝生閑先生に出演をお願いした時、閑先生が目を細められて「平史朗さんは謡が上手かったなあ」と何度も言われるんです。「そうですか。ありがとうございます」と笑って聞いていたら、隣りにいた宝生欣哉先生が耳元で「お前にプレッシャーかけてるんだよ」って(笑)。「そういうことか」と気づいて、そこからは必死でした。
超一流との共演。舞台ではいかがでしたか?
本番以上に緊張したのが申し合わせです。人間国宝の先生方も自分の出番がないときは楽屋に戻られたりするものですが、誰も帰らずに舞台の後ろで見ているんです。観客のいない国立能楽堂で一人滝のような汗をかいていたのを覚えています。
人間国宝の先生方は、申し合わせの時には往々にして攻撃モードなのですが、本番になると一変するんです。言葉で言われるわけではないんですが「お前の好きなようにやってみろ。おれたちが全部受け止めてやる」という気持ちが伝わってきます。それで私も実際、普段とは違う間で謡ってみたり色々と挑戦してみましたが、閑先生はまったく動じることなく返してくださりましたね。そうして真剣勝負をしていただいたことが私の財産になっています。
今回は20回目の節目です。
山井立ち上げから10回目までは、人間国宝への挑戦。それ以降は好きなことをやらせてもらおうということで、異流共演もやったし、新作や復曲、色々なことをやってきました。そして今回20回目を迎えます。これまで本当に好きなことをやらせてもらって充実した能楽師人生を歩んできましたから、20回目からは自分自身の研鑽だけではなく、後に続く人たちを育てていく場にもしていきたいと思っています。
私を育ててくださった信高先生や今の師匠である先代宗家の金春安明先生に日頃から感謝の言葉は伝えていますが、家元という立場でご自分の人生を流儀に捧げてきたお二人が本当に喜ぶことは何かと考えると、金春流が未来にわたって安泰であることだと思うんです。金春流を未来に伝えていくこと。それが本当の恩返しだと思っています。

「定家」に込める思いは?
山井今回挑戦する「定家」は準老女物とされる大曲で、今の私の歳(52歳)で披かせていただくのは有り難いことです。ただ若くしてやればいいというものではなくて、式子内親王と藤原定家卿との純粋なだけではない恋心を描いた大人の失楽園的な曲ですから、人生の浮き沈みも経験しない年齢でやっても面白みは出ません。また、作者である金春禅竹の曲は、「うねり」のあるのが特徴で、一筋縄ではいかない難しさがあります。私も昨年大病を患って死ぬような思いも経験しましたから、そういった生き様も含めて舞台に刻んでいける曲が「定家」だと思っています。
私の恩師である富山禮子先生は「定家」が大好きでしたが、機会に恵まれずにおられました。私が28歳の時、祖父の23回忌追善能を主催しましたが、その舞台で先生に「定家」を舞っていただいたんです。その時に私は「邯鄲」を舞いました。
思い出深い曲ばかりですね。
山井24年の時を経て、今回は私が「定家」、弟子の村岡聖美が「邯鄲」を勤めます。そして私が初めてシテを勤めた「経政」を息子の綱大が舞います。ほかにも、地謡を勤める岩間啓一郎は国学院大学金春会の後輩であり、同じく立本夏山は20年俳優をやってきた異色の経歴を持っています。それぞれ能楽協会員になりプロとしての歩みを始めました。息子も含め弟子たちに金春流の灯し火をつないでいってほしい、その一心です。
(終)
公演日:2026年1月17日(土)
会場:国立能楽堂
時間:13:00開演(12:00開場)
上演される『定家』『邯鄲』『経政』はそれぞれ山井さんの能楽師人生の節目を飾った思い出深い曲。『定家』の大鼓・安福光雄さん、小鼓・鵜澤洋太郎さんは24年前の「梅村平史朗追善公演」と同じ配役。大病を克服した山井さんが感慨深い舞台をどう演じるか。
※当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。