能暦

2019/12/28
インタビュー
観世流シテ方銕仙会馬野 正基さん

極限まで無駄を削ぎおとした究極の曲

読者のなかには、能はとにかく動きが少ない芸能だとイメージする方もいるだろう。そのなかでも「定家」という曲は、さらに動きが少ない曲だと想像してほしい。

「定家」は、式子内親王という高貴な女性と藤原定家の悲恋にまつわる執心を描いた能である。しかし、描かれるのは恋のただ中にいるふたりではなく、そこに立ち現れるのは、死後の式子内親王と、彼女の墓に巻きつく蔦葛(これは定家の愛執が具象化したものとされる)のみである。

馬野結ばれることのなかった恋の果てに、式子内親王には死後も定家の妄執がつきまとい苦しんでいる。そこに僧が現れて、式子内親王の霊を弔うのですが、彼女がそのまま成仏できるかと思えば、しないんですね。再び墓へもどると、たちまち墓は蔦に覆われてしまいます。

呪縛から逃れられたのに、なお定家の執心が残る墓へと戻っていくのは、式子内親王もまだ定家のことを愛しているからではないかと思います。魂が浄化された喜びより、苦しい愛が勝る。静かに見えて、ものすごく壮絶なロマンを描いた曲なんです。

馬野そうした世界観と式子内親王の内面を、少ない動きと謡のちからで表現しなければなりません。また、式子内親王は高貴の女性ですから、立ち姿ひとつとっても気品が要求されます。

型付(かたつけ)という、曲ごとの動きを記した書物を見ると、「定家」には型がほとんど書いていないんですよ。けれど、軽い拍子をトンと踏むだけの型が、すごく重い習いになっていたりするんです。

要するに、舞にしても、謡にしても、内面的な要素が非常に強い。極限まで無駄を削ぎおとした型や謡に、なにを凝縮させるのか、どれだけ深みをもたせられるか……。女性を主役にした三番目物のなかでも究極の曲ではないでしょうか。

思いどおりにならないからこそ、能に一生を捧げたい

物心つくかつかないかの頃から舞台に立ち、高校生のときに運命の舞台に出会ってから、能への思いをさらに深めてきた馬野さん。長くひとつのことを続けるのは、誰にとっても並大抵なことではない。そこにどのような思いがあったのだろうか。

馬野僕が能から離れることができなかったのは、やっぱり、能だけが思うようにできないからなのだと思います

僕はハマったらとことんのめりこむタイプで、趣味の分野でも、バンドや釣りなどいろいろなことをしてきました。なにかに夢中になっては、まわりから評価をいただくこともあって、ときには他の可能性を提示されることも幾度かありました。でも、その道を行こうとは思えなかった。

亡くなった師匠方の晩年の姿を見ていて感じたのは、「命を削って舞台に立っている」ということ。師匠たちはいつも、生きるために舞うのではなく、舞うために生きていた……そんな風に思います。僕もできればそうして生きていきたい。

能は、同じ演目を何日も続けていく興行形式ではない。毎日さまざまな舞台へと出勤して、ちがう曲に出るのは当たり前。ときには、一度も演じたことがない曲を父の代役で勤めなければならないということもあったという。

馬野付け焼き刃の稽古では絶対にいい能は舞えません。上手くなるには必ず積み重ねが必要です。稽古を重ねたからといって、必ず上手くなるという保証はありません。けれど稽古をすればするほど、ときに迷宮にはまって迷うことはあっても、下手になることはないと思っています。

死ぬほど能を愛して、能を舞うために命をかける。若い頃はよくわかっていなかったけれど、今はそれが真実だと思います。