能暦

2021/5/28
インタビュー
金春流シテ方中村昌弘さん

我が子と立つ悲劇の舞台で見る夢は
―第五回中村昌弘の会「角田川」―

我が子と立つ悲劇の舞台で見る夢は
―第五回中村昌弘の会「角田川」―

能楽が持つイメージが「重」や「静」という言葉で表されるのならば、シテ方金春流の中村昌弘さんは、「らしくない」能楽師であるのかもしれない。

舞台での活動はもちろん、能楽の普及に奔走。居住する狛江市では講座や子ども向けの教室を開き、コミュニュティFMのパーソナリティを務める。同年代の五流儀シテ方能楽師で共同主宰する「流儀横断講座」では、個性的な面々を取りまとめるホスト役が定位置だ。舞台では主役を張るシテ方でありながら、聞き役や裏方でもマルチに才能を発揮する。

この夏、第五回となる「中村昌弘の会」を開催する中村さん。この公演は、元々昨年の6月に予定されていたが延期の憂き目となった。一年越しの舞台で上演される「角田川」は、テレビドラマの影響で奇しくも話題の曲に。時の運も味方につけて、能を代表する悲劇を中村さんはどう演じるのか。

中村昌弘さん 1978年東京生まれ。2歳から能の稽古をはじめ、七九世宗家金春信高、高橋万紗、高橋忍に師事。中央大学法学部を卒業後、能楽師の道へ。狛江能楽普及会代表として地域に根ざした普及活動を行なう。

習い事高じて生業となる

中村さんは能のお家ではありませんが、2歳からお稽古を?

中村能は元々、母が習っていたんです。幼い私を家に置いていくわけにもいかず、お稽古に連れて行くうちに、いつの間にか私も母のお師匠である高橋万紗先生に教わるようになったという次第で。時々子方として舞台にも立たせていただきましたが、プロになる考えなどなく趣味の習い事でした。それでも大人になるまで一度もやめることなく続けました。小学一年の時に、舞囃子の稽古で何十回やってもできないところがあって「もう嫌だ!やめる!」と言って帰ったことがあるんですが、次の週には普通に行きましたね(笑)。

途中で他に興味が移ったりすることもなく?

中村幼いときから喘息持ちで、体を強くするために水泳やサッカーなども習ったんですが、すぐに苦しくなってしまう。能だけは苦しくならないし、とにかく先生やまわりの大人が褒めてくれる(笑)。小4から大学まで部活では剣道をやりましたが、部活と並行して能のお稽古はずっとやっていましたね。声変わりしてからは高橋忍先生に習っていたのですが、受験の時期になり「頼むから休んでくれ」と先生に言われて休んだくらいです(笑)。そんなに面白かったのかと言われるとよく分かりませんが、あまりにも能をやることが当たり前だったんでしょうね。趣味を聞かれて「能」と答えるとみんなポカーンとする。人と違うことをしているという感覚がよかったのかもしれません。

プロになることを意識したのは?

中村大学の時です。法学部でしたので周りのみんなは司法試験に向かっていく。「また受験なんて嫌だなあ」と考えていた時に、忍先生が「うちは人数が少ないから、君が玄人になってくれると助かるんだけどなあ。食っていけないからなあ…」なんて呟くんですよ(笑)。20代は堅い仕事に就きながら能を続けることも考えたんですが、どうせなら20代のうちに能楽師として経験を積んだほうがいいと思い、先生にご相談しました。すると先生は、「能で食っていくのは大変だから、ご両親の承諾を取りなさい」と。

ご両親の反応は?

中村父は家業をやっていたのですが、昔から「継がなくていい」という考えでしたので、「やりたいことをやれ」と言ってくれました。ところが僕に能を始めさせた母の方が断固反対で(笑)。「何のために法学部に入れたんだ!」と怒っていましたが、最終的には認めてくれました。